4月1日生まれの私が背負った十字架について──


あなたにとって、誕生日とはなんでしょうか?
年に一回きりの皆に祝ってもらえ、職場によっては公休がもらえる非常にありがたいプレミアムデー。
しかし親と一緒で、自分の誕生日は選ぶことができません。
そしてその誕生日が4月1日の場合、それは単に『4月最初の日』というだけではなく、様々な意味合いを帯びてくるんです。
今回は4月1日生まれという誕生日が私にもたらした、有象無象の体験を述べていきたいと思います。
私の誕生エピソード

今から半世紀近く前──
私は大阪のとある産婦人科で産声をあげました。
第一子であり、祖母にとっても初孫だったので、私の誕生は、それはもうエラい喜ばれようでした。
ただし私の母と祖母が割り切れなかったのは、その日が4月1日であり、生まれた時間が夜の23時過ぎだったことです。
そこで彼女たちは、看護師長に4月2日に生まれたことにしてもらえないか、と直談判します。
その理由は、学童期での学力面、体力面で、周囲に比べて不利に働くのではないか、というもの。
親としては無理からぬ心配です。
しかし看護師長は彼女たちの願いに共感せず、私の誕生日は4月1日で確定することになるのです。
幼少期の影響

それから5年経ち、私は大病にもならず、幼稚園に入りました。
集団の中での私は、ひとつのことに集中すると、人と同じスピード感で準備や行動ができない、ひと手間もふた手間もかかるお子さまでした。
そんな私をみて、母は早生まれが原因だと思っていたようです。
でもそこが原因ではなく、私にはどうやらADHDの傾向があったんだろうと、かなり後になってからわかりました。
実際のところは、ある程度の差はあったかもしれませんが、私の発育が良かったためか、それほどの不利益は感じず、中学生になるころにはほとんど気にならなくなっていました。
なぜ4月1日生まれは『ギリギリ早生まれ』なのか?

──そうなんです(笑)。
私がもっとも当事者なのに、ぼんやりと「何でかな?」と思いながらも、40年以上も解決してきませんでした(笑)。
でも最近解答を知って、非常にスッキリしました。
なぜ、早生まれ最終日が4月1なのか──?
さあ、いよいよ最大の謎に触れていきましょう。
早生まれ最終日が3月31日だったらスッキリするのに、なぜ4月1日と定められているのか──?
ここにはもちろん、年度の概念が存在します。
ただし重要なのは「いつ生まれたか」ではなく、「どれだけ生きたか」なんです。
出生日 | 生後365日目 |
3月31日 | 3月30日 |
4月1日 | 3月31日 |
4月2日 | 4月1日 |
法的に日本の国民が0歳から1歳に変わるのは、「生後365日目が終了した瞬間」です。
つまり、上の表を参考にすると、4月1日生まれの私場合、年齢が変わる瞬間は、
『次の4月1日0時』ではなく、
『3月31日24時』
が正解なんです。
学校教育法では小学校に就学させる義務を負うのは、
『満6歳〜満12歳』
とされており、『1学年は4月1日〜翌3月31日』という原則にもとづいて、小学一年生例外なく『6歳』ということになります。
つまり、4月1日24時で6歳になった者【4月2日生まれ】〜3月31日24時で6歳になった者【4月1日生まれ】といった解釈です。
──どうです、スッキリしましたか?
結局、4月1日生まれって得なの?損なの?

エイプリルフールの直訳は『4月バカ』ですが、4月1日に、今日が私の誕生日であることを知って、「あなたバカ?」と言われたことは一度もありません。
また、「またまた下手なウソを(笑)」と言われたことは何度もありますが、私が本気でウソをついていると思われたことは一度もありません。
第一、エイプリルフールのウソなら、もう少し気の利いたネタを考えますよ。
ほとんどの人は、私に誕生日を聞かされた最初は軽く驚き、徐々にジワってきた感じの笑顔に変わりますね。
一度聞いたら忘れにくい日ですし、自分の誕生日が普通の日ではなく、みんなが冗談を言いあって笑いながら、自分の誕生日も祝ってくれるなんて、とてもいい気分です。
本当にこの日に産んでくれて、お母ちゃんに感謝です──。
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