『老害』叩きについて思うこと。

最近よく耳にする『老害』という言葉──。
あなたも一度は耳にしたことがあると思います。
もともとネットスラングが一般化したものですが、ネットで検索すると──
──いやあ出るわ出るわ。若者たちの怨嗟が渦巻いております。
最近では私のような40代でも老害呼ばわりされることがありますね。
私は『老害』じゃない!!
と心の底から全否定しながら、『老害』の定義にについてググってみると──
老害とは──(マナラボより引用)
- 自説を曲げない
- 沸点が低い
- 自分の価値観を押し付ける
- 話が長く、くどい
- こまった時だけ老人を主張
──あれ、全部俺じゃね?
ほぼ全適合したことに焦る私ですがそれはさておき──(混乱)
そんな私も、自分の親にあたる団塊の世代のことを、『他人に譲ることを知らない奴ら』、すなわち『老害』とひとくくりにしています。
今回は『老害』と安易に叩いている若者世代に警鐘を鳴らすべく、特に叩かれることの多い団塊の世代に焦点をしぼって話を進めていきたいと思います。
いわゆる『老害』たちの歴史

いわゆる団塊の世代がこの世に生を受けたのは終戦前後。
この時期の日本には、本当に物がありませんでした。
国民のほとんどが、いわゆるマズローの唱える欲求の最下段の『生理的欲求』や『安全欲求』を満たすために必死でした。
私の父親など、栄養失調で命を落としかけたらしいですから。
我々の世代では想像もつかない時代です。
そして彼らは中学高校を卒業すると、生活と労働の場を東京や大阪などの大都市に求め、地方から集団で移り住むようになります。
当時の日本は戦後復興から高度経済成長期に移行しており、社会の人材に対する貪欲さでは空前絶後といってよく、需要と供給がうまくマッチした時代だったんです。
ここがいわゆる『就職氷河期』と決定的に違うところ。
そしてとてつもない労働人口を誇る団塊の世代は、日本の経済を世界二位まで押し上げます。
大事なのはここです。
今の豊かな日本を作り上げたのは、俺たちだ!!という矜持がある。
それを否定することは、彼らの人生そのものを否定することなのかも知れません。
安易な『老害』世代に対する攻撃の危険性

では団塊の世代の目には自分たちの親などの世代がどのように映っていたのでしょうか。
物心ついた時からジリ貧の生活を舐めさせられ、それまでの日本を否定する教育を受けてきたこの世代は、『戦争』に対して極度にアレルギー反応を示す人も少なくなかったと聞きます。
その戦争に参加した親世代を、無条件で否定したがるのは当然といえるでしょう。
年長の世代の方でも、「最近の若い者は……」と苦々しく思っていたのではないでしょうか。
つまり、「若者 vs 年長」の闘いは、古今東西、不動の構図なのです。
ということは、いずれ我々が『老害』扱いされる番が回ってくるということ。
自分たちだけが例外ではないのです。
自分たちが、将来『老害』と呼ばれないために

団塊の世代にとって想定外だったのは、自分たちが働き盛りの1980年代、65歳以上の世代1人に対し、15~64歳の労働世代が7人という比率でした。
しかもその頃は、まだまだ景気が右肩上がりの状態で、年金生活者に不満を感じるどころか、自分たちも仕事をリタイアした暁には、同じような生活が待っていると信じて疑いもしなかったでしょう。
ところが少子化によって、2020年の時点では、65歳以上の人間1人を支えるのが、たった2人しかいなくなってしまいました。
2020の時点で景気はよくなりつつあるというものの、国の借金は増え続けている状況で、体感的にも景気回復したとは言えず、若者たちは自分一人を支えるのに精いっぱいという有様。
そんな中で当たり前のように年金生活(それも満たされたものであるとはお世辞にも言えませんが)を送り、年長者面などしようものなら、即座に若者たちから冒頭のように目の敵にされる始末です。
しかしその若者たちも手放しで年長世代を叩いている場合ではありません。
上の比率ですが、内閣府の予測では、2040年には1.5:1にまで悪化します。
特にその頃、後期高齢者にさしかかる団塊ジュニアに対する風当たりは、いまの比ではないと思われます。
それこそ「働かざる者、食うべからず」で、老骨に鞭を打って「生産」し続けないと、たちまち若者から『老害』認定まちがいなしです。
団塊ジュニアには団塊ジュニアの言い分はあるでしょうが、そんなことは他の世代は忖度してくれません。
とりあえず若者世代が老後に備えることは2つ。
まず、老後のために可能な限り貯蓄すること。
貯金が1円でも多いければ、将来的に社会にぶら下がるタイミングを遅らせることができます。
もうひとつは、健康であり続ける努力をすること。
健康でありさえすれば、働くことができ、働いている間は生産者の側にいることができますから。
もう一つ大事なのは、将来自分が社会に養われているという自覚を持つこと。
これがあるのとないのとで、周囲の扱いが『老人』か『老害』か、かなり変わってきます。
自分もいずれは『老害』になるということも、忘れないように。
ではまた!
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