【提言】昨今のパワハラ定義の変化から見る、世間の指導者の運命について

【提言】昨今のパワハラ定義の変化から見る、世間の指導者の運命について

ここのところイラスト作成にハマりすぎ、若干の睡眠不足に陥っている井上です。

さて、昨今ではいろいろな団体でパワハラ問題で枚挙にいとまがありませんが、あなたはどう感じていますか?

「相手を恫喝なんかしてバカだねえ」

「弱者が強者を追い詰めるスタイルってマジ気持ちイイ!」

「徹底的につぶしちゃえ!!」

まあこんなところでしょうか。

 

私の見解を申し上げましょう──。

あなた、はっきり言って認識が甘すぎです。

なぜなら次にパワハラで訴えられるのは、あなたかもしれないからです。

 

え?自分はパワハラなんかしていないって?

 

その無自覚こそがいかに危ういものなのかを、これから述べていきましょう。

 

総パワハラ被告時代へ移行か?

原因はコミュニケーション不足。

犯人はお前だ

パワハラに関してなら、体操協会の問題の前にもニュースがありましたよね。

そう、日大アメフト部のパワハラタックル問題です。

あの時は非常にわかりやすい構図でした。

日大アメフト部パワハラ問題

【悪①】タックルを指示した監督とコーチ

【悪②】それを隠蔽しバレれば見苦しい弁解に終始した大学

【被害者】指示を実行し切り捨てられようとした学生

 

いやあ、この時は私のようなバカでもわかりやすく、大学側が炎上する様を見てスッキリしたものです。

──すぐに飽きたけど(笑)。

 

では次。

日本体操協会パワハラ問題

【悪①】指導と称して選手に暴力をふるったコーチ

【悪②】コーチを処分し協会の汚点を排除しようとした副会長夫妻

【被害者】コーチの減刑を希望し副会長夫妻のパワハラを訴える宮川選手

 

──なんだかおかしくありませんか?

なんで暴力の根絶のために働きかけている副会長夫妻が悪者になっているのか?

そしてなぜ暴力の被害者である宮川選手が加害者のコーチをかばいだてするのか?

 

非常に謎ですね。

 

しかしよく似た話を私の親父から聞いたことがあります。

 

──親父が小学生のころ(昭和20年代後半)、イタズラをして先生に見つかり顔面をグーで殴られ、顔を腫らして泣きながら帰ったそうです。

帰宅して私の祖父である父のダディに、涙ながらに先生の暴力を訴えました。

聞くなりダディは血相を変え──

お前は先生に殴られるようなことをしでかしたんか、オオ⁉

親父はダディから無慈悲なパンチを反対側の横面に強く見舞われたとのことです。

親父、終了──

つまりダディと先生の間には固い信頼関係があったわけで、件のコーチと宮川選手との間にも強い信頼で結ばれていたと思われます。

副会長夫妻はその信頼関係を理解せず、また宮川選手とていねいにコミュニケーションを図ることもなく、「あなたは黙ってなさい」くらいのことは言ったんじゃないでしょうか?

ま、本筋はそこではないので、これ以上掘り下げることはしませんが。

 

世間の風潮の危うさ

記者会見

そう、問題はそこではないんです‼

宮川選手の会見をみて、私はこれは場合によってはマズい風潮になる、と思いました。

あらかじめ言っておきますが、私は宮川選手がウソを言っているといいたいわけではありません。

 

ただ、例えば部下が上司の言動に

「恐怖を感じた

「パワハラを受けたと感じた

と言えば、世論が無条件で弱者に味方する情景を想像し、私はうそ寒さを感じました。

 

だってぶっちゃけ「言ったもん勝ち」じゃないですか。

私ならトドメに目撃者を立てるくらいのことはしそうですね。

そこで大勢が弱者に傾いた時点で、もうあらがう術はありません。

だって「パワハラをした」という大勢の中で、自分がしていない立証なんてできませんよ。

いわゆる『悪魔の照明』ですね。

痴漢冤罪と同じです。

故星野仙一さんが今も監督だったら、パワハラで訴えられていたかもしれません。

 

指導者の怠慢にも原因が。

ではパワハラ認定される人が完全にぬれぎぬなのかといえば、一概には言えません。

現在、このような事態になったのは、指導者側の今までの怠慢が原因の1つだと思うからです。

 

「これくらいはできて当たり前」

「いちいち説明しなくてもこの程度なら自己習得できるはず」

「人間叱られて初めて打たれ強くなる」

というひとりよがりな考えで、高圧的な指導をして相手を泣き寝入りさせて来たのではないですか?

 

私も教員時代に説教の際にテーブルを強く叩いた事がありましたが、今となってはかなりリスキーな行為といえます。

そんな中、今の若者が軟弱だと思っている中間管理職の方々は、今はネットやSNSという武器があり、いざとなれば会社や上司を名指しで吊るし上げる術があることを認識しておいた方がいいと思います。

 

今は上司、先輩、教師などが『絶対的強者』だと思わない方がいいですよ。

いまはそういった上下のバランスが完全に崩れてしまってますから。

にもかかわらず、「部下は上司の背中を見ろ」だの「一言われれば十理解しろ」だの、自分の指導の怠慢を自覚もせず、あいもかわらずあぐらをかいている人が多いですね。

 

Twitter上で『クソ上司』と検索すれば、出るわ出るわ。

 

逆ギレがほとんどですが、大変な嫌われようです。

自業自得、今そのツケが回って来たんだと諦めてください。

 

これからの指導での注意点

さあ、これからあなたはどうします?

 

パワハラ罪

とでも言って、あくまでも我が道を行きますか?

そんな方にもリスク回避策がないわけではありません。

 

これまで世間を騒がせてきた『パワハラ』は、被害者の告発に端を発しているのが共通点です。

ではどうすればよいか──

 

相手にパワハラを受けたと認識させなければいいんです。

 

それには指導する側とされる側が、お互いの考えを理解しなければいけません。

 

指導者が心がけるべきこと

相手の個性を理解すること

何を指導しているのかを理解させること

自分の過去を引き合いに出さないこと

 

相手の個性を理解すること

指導される側にしてみれば、指導者が自分を理解しているかどうかは、ふだんの指導者の言動で伝わるもの。

「オレの事を分かった風なクチをきいてんじゃねえよ!」という指導される側の反感は、その後の指導者の振る舞いをパワハラと認識させやすくする土壌となります。

問題は相手が何をどう考えているか、わからない時にはどうするか。

 

そこは素直に訊けばいいんじゃないでしょうか。

 

骨惜しみせずに相手の個性を『理解する』ためにコツコツと努力してください。

 

何を指導しているのか、理解させること

上司や指導者が何のために自分に説教や叱責をしているのか理解できない時、大抵の人が考えるのは「次に叱られないためにはどうすれば良いか」という的外れで消極的な思考に傾きます。

いや訊けよ‼︎」と不満に思われましたか?

 

そんなこと訊けるはずがないじゃありませんか(嘲笑)

 

あなたが指導や説教される立場で、その途中や後で「私はなんのために説教されているんでしょうか」なんて訊けます?

あなたがきちんと説明しない限り、相手に理解される可能性は1ミクロンもないと考えてください。

意味がわからない指導や説教ほど、苦痛なものはありません。

 

そう、その『苦痛』なんです。

 

「相手に苦痛を受けている」が「相手にパワハラを受けている」に変化するまで、さしたる時間は必要ないでしょう。

 

体操の宮川選手がコーチの暴力を訴えないのは、コーチが自分のことをわかってくれ、コーチが自分を叱っている理由も理解しているからです。

 

ま、あなたにも叱られて『嬉しい』相手はいる(いた)と思いますが、その相手が自分にとって、どんな存在か思いを致してみてください。

自分がどうすべきか相手にとってどういう存在でいるべきか、そこに答えがあると思います。

 

自分の過去を引き合いに出さないこと

「ワシが若い頃はもっと〜」

 

小物ほど真偽のあやしい武勇伝を語りたがるもの。

聞かされる方の立場にしてみれば、涙が出るほどウンザリするひと時です。

そういう実りのない話を決してしないことも、もちろん大事だとは思いますが、この項で言いたいことはちょっと違います。

 

それは、相手を評価するのに自分の過去を引き合いに出してはいけないということです。

それでもつい自分を基準に相手の能力を量ってしまいがちになってしまいます。

「俺がこいつくらいの時はこの程度はやってのけた」

「昔はこんなもんじゃなかった」

 

その『自分』というボーダーに相手が達しない時、指導者は苛立ちを覚えます。

 

苛立ちとは感情です。

 

感情を露わにした時点で、相手が感じるのは『理不尽な圧力』であり、即座にパワハラと受け取られても不思議ではないでしょう。

あなたの常識は、他人の非常識かもしれません。

もっと冷静な観察眼で相手を評価してほしいものです。

 

まとめ

結局はパワハラの温床とは、コミュニケーション不足からくる相互不信に他なりません。

ほかの記事でも述べましたが、相手の信頼を得るのに必要なのは、あなたの居丈高な態度ではありません。

私個人としては、昨今のパワハラの風潮には懐疑的ですが、指導者の質の改善にはいい機会ではないでしょうか。

最後に私の好きな句でこの記事を締めくくりたいと思います。

 

して見せて

言って聞かせて させてみて

褒めてやらねば 人は動かじ

山本五十六

 

健闘を祈ります!

 

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