訪問理学療法士が考える安楽死とは?

訪問理学療法士が考える安楽死とは?

ある日曜日──

私は、NHKで放映された、『彼女は安楽死を選んだ』というドキュメンタリー番組を観る機会を得ました。

そこで紹介されていたのは、同じ進行性難病に罹った50代の日本人女性2人でした。

2人の難病は、徐々に身体の自由が奪われ、遠からず生命維持のために人工呼吸器が必要となり、そののち徐々に機能不全に陥り、死に至るというもの。

番組の中で2人は、まったく別の選択をするのです。

──ひとりは病状が進行する前の、薬物による積極的安楽死。

──もうひとりは延命を目的とした人工呼吸器の装着。

周知のとおり、前者を行うことは、日本では法律上で一切認められていません。

私にとって非常に心に残ったのは、この番組が二人に対して、一切の是非を主張しないスタンスを貫いているところです。

あとの判断は、視聴者にゆだねる」と語りかけるかのように──。

今回はこの『安楽死か、延命か』という衝撃的なテーマについて、述べていきたいと思います。


安楽死とは?

そもそも安楽死とはなんでしょう?

以前に閉じ込め症候群』の記事でもあげましたが、安楽死とひと言で言ってもふた通りあります。

ひとつは患者本人の明確な意思によって、予防・救命・回復・維持のための治療を開始しない、または、開始しても後に中止することによって、人や動物を死に至らせる、消極的安楽死

治療を開始しても後に中止する」とは述べましたが、気管切開をして人工呼吸器を導入し延命を図ったケースでは、たとえそれが家族であろうと、スイッチを切ることは殺人罪に問われることになります。

もうひとつは薬物の投与などによって速やかに死を招来する積極的安楽死

こちらももちろん患者本人の明確な意思が前提となります。

世界ではスイスやオランダ、ルクセンブルクの他、アメリカとオーストラリアの一部の州で認められており、外国からの積極的安楽死の希望者を迎えているのはスイスだけです。


日本の安楽死の法的解釈について。

安楽死の中でも消極的安楽死については、本人の明確な意思がある場合は合法とされています。

ただし、積極的安楽死については、刑法202条の『嘱託殺人罪』に問われることになります。

もし裁判を阻却するにしても、以下の条件全てを満たす必要があります。

  1. 患者が耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいること
  2. 患者は死が避けられず、その死期が迫っていること
  3. 患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くしほかに代替手段がないこと
  4. 生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること

というわけで、日本で積極的安楽死が法的に認められるまでには、まだまだ道のりは遠いようです。


安楽死を選んだ女性の話。

番組の中で、安楽死を選んだ方の女性は、もともと通訳関係の仕事で活躍していました。

しかし彼女が48歳の時、多系統萎縮症という進行性難病であることを告知されます。

その後も彼女は前向きに生きようとしていましたが、ある日、人工呼吸器をつけた自分と同じ病気の患者を目の当たりにして、彼女の心境に変化がみられます。

悲観的な発言をするようになり、ついには自殺を何度も試みますが、病気で弱りか始めた体のため、未遂に終わります。

そうして最終的に彼女が行きついた結論が、海外での積極的安楽死でした。

彼女には2人の姉と1人の妹がいましたが、姉2人の方は、「自殺を選ぶよりは──」という判断から、安楽死を 消極的に受け入れます。

しかし妹の方は、人の助けを借りながらでも生きていてほしい、という一心から、最後まで安楽死に反対します。

妹の願いに彼女は心動かされますが、翻意させることはできませんでした。

彼女は姉2人とスイスに渡り、手続きを進めます。

近づきつつある『その日』まで、姉たちの心は水面の木の葉のように揺れ動きます。

この判断で果たしてよかったのだろうか、と──。

「きりがないし、そもそも人間誰しも死ぬときは、いつでも今じゃない気がするんだ」

という彼女の言葉は、数えきれない程の自問自答をして、苦しんだあげくの答えのような気がします。

── そして当日。

彼女を死に至らしめる薬物が点滴にセッティングされ、あとは彼女自らが調整バルブを開放するのみとなりました。

立ち会った姉たちに感謝の言葉を投げかける彼女の表情と、バルブを操作する手つきには、私の眼には、恐怖や躊躇はまったくみられませんでした。

その数十秒後、彼女の生涯は閉じられるのですが、見送る姉たちが泣きじゃくっていなければ、本当に彼女は亡くなったのかと疑うほど、淡々とした物事の進行でした。


結局、何が一番ベターなのか?

気管切開し、人工呼吸器の装着を決断したもうもう一人の女性の話をしましょう。

ちなみに気管切開をして人工呼吸器を取り付けた後では、それを取り外すこともスイッチを切ることも、殺人罪に問われることになります。

──つまりは後戻りはできないのです。

しかし彼女は、自分にとって、家族と家族とふれあう時間こそが、かけがえのないものであるため、呼吸器の装着を選択します。

彼女のその決断も、想像を絶する苦悩の末に出されたものかもしれません。

私は訪問リハビリの仕事をしてきて、終末期でほとんど意識がないの方の家族から相談を受けてきましたが、最も多かったのが、

我々家族がやっていること、やろうとしていることは、本人の意向を無視した、ただの自己満足ではないのか

というもの。

私はそれに対して、

「それは本人以外は誰にもわからない。でも後に残るのは本人じゃなくて家族の皆さんの気持ちだから、『あの時こうしておいてよかった』と言えるようにベストを尽くしてほしい」

とアドバイスしてきました。

私自身、自分の母が急変した際は、まだ元気だった時の母の言葉を尊重して延命を拒否しました。

でもその時の私の頭上で、母の魂が「何言ってんの、今は気が変わったんだよ!延命してよ!!」と叫んでいたかもしれません。

かもしれませんが、私はあの時は正しい判断をしたと今でも思っていますし、もし違ってたらあの世で母に平謝りするしかないな、くらいに思っています(笑)。

その私がもし死を宣告されたとき、家族に「本当に安楽死させて良かったんだろうか」という思いを 死ぬまで 抱かせることになるんだと想像するだけで、ちょっと安楽死という選択肢はできないと思います。

あらためて安楽死を選んだ彼女の矜持といいますか、彼女の家族への気遣い方について、とても考えさせられた番組でした。


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