実習生指導を今こそ考えよう②

暑い、暑いです。。。
ちょっと異常ですよ、このところ(2018年7月)の気候は──。
私も日中はスクーターで移動ですが、本当に身の危険を感じます。
何せサングラスをしていても、熱気で眼球が痛いなんて今までなかったですもん。
もうどこを訪問しても、打ち水、風鈴、スダレかけといった夏の風物詩は過去の遺物となり、今や密閉、遮光、室外機、ですからね。
いまやエアコンは白物家電というより生命維持装置と化した感があります。
熱中症で救急搬送されたり、お亡くなりになったりという報道も毎日されており、私が思うに、そのうち真夏の外出の際は防護服を着用、なんて事になるんじゃないかとなかば本気で思ったりしています。
皆さんも他人事と思わずに、しっかりと自衛してくださいね。
さて、先日に実習生自死関連の記事を書いたところ、かなりの反響がありました。
このままではいけない、今こそ変えていくべきだという皆さんの強烈な思いがひしひしと伝わってきました。
私もこの記事を世の中に出すにあたって、非常に悩みましたが、今は出してよかったと思います。
読んでくださった方々、本当にありがとうございます。
今回の皆さんの熱い思いにさらに触発され、先日の記事で伝えきれなかったこと、新たに伝えたいと思ったことを今回は書いていきたいと思います。
『ことば』の威力。
以前からこのブログでは【コミュニケーション技術】について記事を挙げてきていました。
それは『ことばのやり取り』というものが本当に大事だからです。
あなたは本を読んだり、誰か助言や励まされたりして救われたことはありませんか?
私はほとんど毎日です。
SNSというツールのおかげで、会ったことのない人のつぶやきや、直接のメッセージなどのことばに触れることができる。
おかげで凹んだ時や、自分の考えや行動に自信が持てなくなった時に救われることは、私にとってほぼ平常になりました。
それが端末さえあれば、トイレの中でも布団をかぶりながらでも、いつでもどこでも可能です。
本当に便利な世の中になったものです──。
このように癒したり、元気を与えたりできる力が、ことばにはあるんです。
私の本職は訪問リハビリですが、ことばひとつで結果がガラッと変わることがあります。
根拠のない保障はもちろんダメですが、ことばが持つ魔力というか威力ってスゴイと思います。
その逆に、ことばには人を死に至らしめるだけの破壊力も持っています。
自死した大野さんのように、深刻な絶望感を与えることで生への欲求を失わせたりすることが可能です。
このように、ことばには両極の力が存在することをわれわれセラピストは知っているはずです。
学生や若手に対して、先達はどちらを伝えていくべきかは言わずもがなですよね。
学生もしたたかである。
教員時代の話をしましょう──
ある日、私は実習中の学生が実習先のセラピストから暴行を受けたというショッキングな報告を受けました。
さっそく実習先に足を運んだ私は、指導者と学生の双方から事情をききました。
リハビリ室の飲み会に学生も呼ばれた際、途中までは和やかな雰囲気でした。
しかし酒の勢いもあったのか、学生に失礼があったのかは不明ですが、指導担当外のセラピストに蹴られたといういきさつでした。
実際に手(脚)を出したセラピストはすでに学生に謝罪をしており、あらためて教員である私にも謝罪しました。
とはいえ、今回の事で両者にしこりが残り、再び同じことがないとも限らりません。
私は学生に実習施設を変更したいなら、学校の方でその用意はあるがどうかと訊きましたが、答えはNOでした──。
学生の言い分はこうです──
僕は先方から謝罪を受けましたので、今後このことを蒸し返すつもりはありません。
でもこのことで僕への扱いは丁重にならざるを得ないでしょう。
ということは僕にとってはこのまま続ける方がパワハラとは無縁の、快適な実習生活を送れるわけです。
だからといっていい気になるつもりもないですし、全力で患者様に臨むつもりですので、そこは安心してくださいねw
確かにこの学生の分析は正しいんでしょうが、そのしたたかさに私は、
と内心で舌を巻いてしまいましたw
これを『ずる賢い』と顔をしかめる教員もいましたが、いつぞやも話した通り、学生にとって実習とは、進級や卒業がダイレクトにかかってくる正念場なのです。
実習の成功率を高めるための『したたかさ』は私は嫌いではありませんでしたし、むしろ実習では圧倒的に不利な学生が持ってもいい能力だと思っています。
大事なのは学生との意思疎通。
これも私が教員時代の話です。
直近の2年間で学生がまともに合格できていない実習施設がありました。
私は、現役生ながら勉強を精力的に取り組んでおり、これからも伸びしろがありそうな有望株を、その施設で実習させることにしました。
それだけではなく、その施設の室長に会ったときに「見どころのあるやつなんで、みっちりと教えてやってください」とお願いしたところ、一番厳しいといわれる室長みずからが指導者を買って出てくれたのです。
ここまで読まれたみなさんは、「有望な学生を潰す気か!」とか「この学生は終わったな」とか思われたことでしょうが、実際は違います。
その学生はそこでの実習をクリアしただけでなく、就職活動でその病院に応募し、一発で内定してしまいます。
実習で学生と施設が相思相愛になる典型例ですね。
内実を話しましょう。
まずそれまでの2年間、なぜ学生が合格できなかったのか。
それはその施設が厳しいからではなく、成績不良の学生ばかりを送り出していたからです。
ではなぜそういう学生を分散させず、一ヵ所に送り続けていたのか──
それは、学生の間で【厳しい実習地】に対する偏見があるのと同じく、実習地の方にも【ロクな学生を送ってこない学校】に対する偏見があるからです。
学校側にとっては不名誉きわまる偏見ですが、偏見だけならまだましな方です。
施設の我慢が臨界点に達すると、実習生受け入れ停止を申し入れられ、学校は貴重な実習地をひとつ失うことになるわけです。
ただでさえ養成校の激増によって実習施設の『獲りあい』の状態になっており、学校にとって実習施設との信頼関係とは、貴重な財産といっても過言ではないのです。
件の実習施設の室長は、学校のそういった苦悩に理解を示してくれ、成績不良者でも鷹揚に受け入れてくれました。
ただし実習の合否は別、というわけで、不合格者の続出にはそういった背景があったのです。
まあ学生にはなんの関係もないことですが──
また、その実習施設にはかつての教え子もスタッフにいたんですが、コイツがまた粘り強く学生を指導してくれる、いい指導者なんです。
せっかくクオリティの高い指導をしてくれる施設なのに、成長を期待できる学生を送らないなんて、もったいないと思いませんか?
当初、実習施設と指導者を告げられたその学生は、やや固まっていましたw
しかし私の意図を話したうえで激励すると、学生は頼もしい表情で「しっかり学んできます」といってくれたものです。
そして結果は上で述べたとおりです──。
なんだか手前味噌な話になってしまいましたが、指導者側の考えが学生にきちんと伝わっていることが大事なんじゃないかと。
それにはやっぱり日頃のコミュニケーションが重要じゃないかと思うんです。
学生のふるまいには必ず理由がある?
指導者であるあなたにとって学生ってどんな存在ですか?
自分とはあまりにも年齢や境遇がかけ離れており、理解しあうのは難しいと思っていませんか?
──とんでもありません。
きちんと指導されれば成長し、ものごとの先を見越して自分が行うべき優先順位を計算する──
つまりはあなたと同じですw
相手とかならず分かり合える前提であなたが関わっていけば、学生はきっと応えてくれるはずです。
仮に学生があなたに理解できかねる行動を取った場合でも、
「何やっとんじゃワレ!?」
ではなく、
「どうしたの?何かあったの?」
と、訊くようにすれば、少なくとも相手からは心を閉ざされることはないでしょう。
もうひとつ重要なことなので、ぜひ頭の片隅に置いておいてください。
それは、相手のウソのひとつやふたつは許してあげること。
それがバレバレでもだまされたフリをしてあげる度量をもちましょう。
「やべっ、昨日が期限だった書類忘れてた!」
「あーかったりー、マジで今日は休みてー」
こういう時、あなたは今までその場しのぎのウソをついたことがあるでしょう。
仮にそんなウソが一切許されない職場って、辞めたくなるほどウザくないですか?
あなたでさえもそうなんですから、学生にもウソくらいつかせてあげましょう。
それにあなたが「自分に対してウソをつくなんて、さてはナメてるな?」と、不信スイッチが入った時点から当然学生にストレスがかかり始めます。
でもそれでしんどいのは、いちいちカッカしているあなたもなんですよ。
だからシャレにならないウソでなければ、自分のためにもだまされてあげましょうよ。
それでも指導が手詰まりになった場合
これまでに性善説めいたことを述べてきましたが、どうしても当てはまらない学生は存在します。
期限や約束を平然とやぶるひと──
患者様の前で堂々と舟をこぐひと──
何回指導しても同じ失敗を繰り返し反省しないひと──
実習に至ってなぜそういうしれ者が出てきているかといえば、そういうふるまいを学内で見すごされてきた結果なのです。
そのようなふとどき者のふるまいを目の当たりにすれば、心穏やかじゃなくなるのもムリはありませんが、学校が回避してきた決着をあなたがつける必要はありません。
そんなことをしても、学生やその親の恨みをあなたが買うだけです。
そういう場合は、その学生が自分の手に負えないとギブアップしても、あなたに何の損にも恥にもなりません。
当事者として不毛な戦いを繰り広げる前に、全てを学校にゆだねましょう。
『みせる』実習。
セラピストにもいろいろな人がいます。
同じセラピストなのにアカデミックな説明に長けている理系の人もいれば、そっち系は苦手だけど心理学や活動学が得意な文系な人もいます。
最近では呼吸器、運動器、難病、小児といった特化分野のみを追及しているセラピストもいるくらいです。
私はセラピストの多様化が悪いとはまったく思いません。
でもいざ実習指導者であろうとするとき、弱点をひた隠し、等身大以上の虚像を学生にみせようとしている人が少なくないように思います。
──それって果たして重要なことでしょうか。
学生にしてみれば、あなたが現場で活躍するセラピストというだけで学ぶべきことが多い存在なんです。
あなたがセラピストであることに自信と誇りを持っているなら、気負わない素のあなたを見せるだけで充分です。
そこで学生が、
「セラピストを目指してよかった」
「こんなセラピストになりたい」
と思えるなら、それだけで指導者になった意味があったというものです。
ウンチクを教えるだけなら学校でもできます。
私は学生に対して『魅せる』事ができる実習や指導者が増えればいいと強く願っています。
さいごに──
前の実習生指導についての記事の反響で最も多かったのは、
「今の枠組みの中で変更を加えるんじゃなくて、枠組みそのものを変えたほうが良いのでは」という声でした。
私もそれについては賛成です。
もういっそ最高学年のカリキュラムから総合実習を無くしてしまって、その時間を国試対策に投入し、資格習得後に就職先で半年程度の研修期間を協会の新人プログラムの一環として設けてはどうかと。
私は半ば本気でこの案が良いと思っています。
その理由は以下の通り。
❶国試合格率は向上する
❷無資格者である学生に患者を治療させるという【法的矛盾】もなくなる
❸同じ職場の先輩が後輩を『研修』するので、現行の実習より丁寧さが期待できる
❹協会の新人プログラムのクオリティが今よりも確実に上がる
どうです、一石四鳥以上になるんじゃないですか?
③については異論が出そうですが、いっそ指導者としての能力も考課の対象(減点だけでなく加点もあり)にしたり、指導者をひとりではなくて複数での持ち回りにしたりすることで、負担やリスクは相当軽減できると思います。
「あなたが言っているのは理想論だよ」と思われるかもしれません。
でも明るみに出ているだけで人が2人も亡くなっています。
小手先の対策だけで実習内でのハラスメントが今後も横行するのであれば、実習とはセラピストになる過程での『恥部』そのものだと言わせていただきましょう。
なりたいものになるために、無意味な『苦行』は必要ありません。
ここまで読んでいただいてありがとうございました!
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