訪問リハビリでの自主トレの是非を再考する。

あなたは訪問先で、自主トレメニューをどんな形で指導していますか?
一所懸命パソコンで絵付きのメニューを10枚以上作成したものを対象者に渡し、
「今日からこれをがんばって実践しましょう!」
とか爽やかさ全開で言ってませんか?
しかし私にはわかっています。
あなたが渡したリハビリメニューは、決して実行に移されないであろうことを。
なぜ高齢者には自主トレが定着しないのか
加齢特有のパーソナリティの変化

まず加齢による個性の変化として、このようなものがあげられます。
- 我が強くなる
- 保守的になる
- 面倒くさがる
- 円熟する
- 話がくどくなる
- 愚痴っぽくなる
などがありますが、訪問でのリハビリは受け入れられても、生活すべてに取り入れることまでは好まない、というケースが多いようです。
ですがこれだけで若い人たちとの自主トレに対する姿勢の違いを断ずるつもりは毛頭ありません。
たとえば、同じ高齢者でも回復期リハ病棟に入院中の方であれば、リハビリ以外での自主トレに余念がなかったでしょう。
なぜなら、そこには『退院して元の生活に帰る』という渇望に近い、明確な目標があるからです。
いっぽう、訪問リハビリで「歩容の改善」のような目的では、「在宅復帰」ほどには意欲面で刺激しにくいのかもしれません。
生活内での行動変容の難しさ

人の生活ルーチンって、毎日違うようで実はほとんど同じなんです。
自分は違うという方も、曜日ごとでみればほぼ同様の内容だと思います。
脈々と続いているルーチンの中に、いきなり自主トレという新規の習慣を取り入れるのに、思いのほかエネルギーを必要とするはずです。
これは別に高齢者にかぎったことではありません。
たとえば筋トレ目的で毎日10回の腕立て伏せを計画したとしましょう。
10回程度の腕立て自体は全く困難なものではありませんが、毎日は結構しんどいはず。
これは腕立てのしんどさが原因というより、それまでルーチンとしていなかった腕立てが、異物として認識されるようになるためです。
セラピストの説明不足

セラピストって、意外と説明が下手くそです。
ひどいのになると、患者相手にすら専門用語を使ってしまうというケースも。
もっともありがちなのが、「この運動は太ももの筋肉を鍛えるためのものですので、しっかり頑張ってくださいね」というもの。
きちんと目的まで説明しているようにみえて、太ももの筋肉を鍛えることがなぜ必要なのかという部分が抜けています。
これでは患者さんにとっていまやっていることが、どの部分の生活改善につながるのかがイメージできず、意欲には結びつきにくいですね。
自主トレで事足りるならわざわざ訪リハなんていらないという認識

在宅高齢者の多くは、寝たきり予防のための訪問リハビリと、自主トレとは完全に切り離して考えている節があります。
私はある利用者に、なぜ自主トレをしようとしないのか訊いてみたのですが、帰ってきた答えは、やや私の意表をつくものでした。
そもそも自主トレじゃ続かないから強制力をもたせるために訪問リハビリを利用してるんだ!
私は妙に納得してしまいました。
たとえれば、ダイエットのための自主トレが長続きしないから、わざわざお金を払ってジムに行く、という感覚が近いかもしれません。
自主トレの実施確認自体の不毛さ

仮に自主トレを対象者に出した場合、次回のリハビリ以降はこちらから実施したか確認するでしょう。
それに対して対象者のの答え大きく3パターンに絞られます。
❶ やりました
❷ や、やりました(嘘)
❸ やってません(キリッ)
❷の答えだった場合、全然やってないのか、一部やったのかが気になるところですが、本質はそこではなく、❶の場合でも本人だけがやったつもりで内容的には全然クリアできていないかもしれないし、❸でもまったくやるつもりがなかったら、結局諦めなければならないし──
何が言いたいかといえば。
完璧な確認が不可能なうえ、相手の出方次第でこちらの対応が180°変わるようなものを、目標達成のための一手段として使えますか、ということです。
そしてそんな使えないものの確認作業自体が、不毛としか感じられず、いつしか自主トレを課すことをしなくなってしまいました。
本当に自主トレをしたい人には何も提示しなくてよい

私が訪問リハビリにかかわるようになって15年以上になりますが、いわゆる自主トレをどれだけ指導しようとも、やらない人はびくともしません。
逆にやる人はどれだけ引きとめてもやります。こちらからメニューなど提示しなくても、その日にやった訓練内容をそのまま自主トレメニューにしてしまいます。
そういう方は自主トレを始動されること自体が喜びですが、オーバーワークになる傾向にありますので、注意が必要です。
自主トレに依存した目標設定はまちがい!

前述のように、自主トレが続かないから訪問リハを選択しているという高齢者は意外と少なくありません。
そこを読み取らずに、病棟感覚で自主トレを指導している例が以下の通りです。
ここで出てきたセラピストの思考で危険だな、と思うのは、
動作・行為の自立には自主トレが必須
となってしまっているところです。
このセラピスト側の「依存」心が表裏一体となって、
生活自立が叶わないのは、本人が自主トレをしないから
というとんでもない錯誤につながる土壌となってしまうんです。
くり返しになりますが、確認があやふやなものを自立の一手段にするのは非常に危険であり、在宅リハでは訪問時のリハメニューのみで問題解決するくらいの気概で望まなくてはならないでしょう。
在宅での自主トレを継続させるには
自主トレであることを自覚させない

前述の通り、既存の生活サイクルに新規で自主トレメニューを取り入れるのは、エネルギーが必要となり継続率が低くなります。
そこでこういった方法で指導してみましょう。
「歩くときのうしろ足をキックする際に、おしりの筋肉に意識して力を入れましょう」
以上のように生活サイクル内の動作にひと手間を上乗せするやり方だと、本人にとってかなり煩わしさがマシになります。
歩行以外でも起立や座位保持などの頻度が高い動作にプラスαする形だと、本人も忘れにくくなり、効果も高くなります。
インセンティブを明確にする!

前項の言い回しで分かりやすさ倍増、わずらわしさ半減ですが、もうひと手間かけた表現で、相手の背中を爆押ししてあげましょう。
ではどうすればいいのかというと、指導した運動を行った結果を、分かりやすく説明すればいいのです。
つまりインセンティブ【見返り】をニンジンのごとく、目の前にぶら下げてあげるんです。
ただし見返りといっても、「姿勢が良くなる」とか「筋肉がつく」程度では、到底ニンジンにはなりません。
それは若年層の価値観です。
高齢者は冷徹なほどの実利主義。見栄えの改善よりも痛みの緩和や、動作の安楽性や安全性の向上などを目的とすれば、「しばらくやってみるか」という気になる確率はグッと上がるでしょう。
まとめ

さて、もうお分かりだと思いますが、在宅では病棟や施設での理屈は通用しません。
ルールを支配しているのはあなたではなく、対象者であることをまず理解しましょう。
そのうえで肝に銘じるべきは次の3つ。
- やってもらうメニューは多くても3つまでにしておく
- イキって専門用語をつかわない
- メニューをやればどんないいことがあるかイメージしやすい表現方法で説く
例を挙げると、
「トイレに行って帰ってきた時に、ついでに背伸び10回をやると、段差や歩きが断然ラクになって、つらいむくみも格段とマシになりますぜ」
──と、お値打ちな情報的にリリースしてください。
では、あなたの健闘を祈ります!!
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