閉じ込め症候群

ニュースでも大々的に報じられましたが、宇宙物理学者のスティーブン・ホーキング博士が76歳で亡くなったと発表されました。
博士のタイムトラベルやブラックホールの話はSF大好きな私にはロマンでした。
また、博士は筋萎縮性側索硬化症(ALS)という難病を患っていて、『車いすの物理学者』という異名もありました。
ALSはアイスバケツチャレンジで認知度が上がりましたが、【閉じ込め症候群 Totally Locked-in State】について知っている方は少ないのではないでしょうか?
私は仕事上、在宅でALSの方と関わる機会が時々ありますが、閉じ込め症候群抜きではこの病気について語ることはできないほどなので、これを機会にぜひ閉じ込め症候群に対する認識を深めてもらえればと思います。
閉じ込め症候群とは?
閉じ込め症候群とは、意識は覚醒しているのですが、声を発することも指一本動かすこともできず、外観的には意識が有無が判別できない状態のことをいいます。
端的に言えば、魂が肉体に閉じ込められてしまい、外界とのコンタクトが全くとれないのです。
ALSは運動ニューロン(神経)が障害を受けた結果、感覚は保たれるつつも全身の筋肉が萎縮し筋力が低下するのが特徴で、それでもまばたきや眼球運動は比較的最後まで温存されるためコミュニケーションの手段は残されるのですが、最終的にはそれもできなくなると、文字通りの『閉じ込め』になるわけです。
この『閉じ込め』の状態は、ALSだけではなく、実は脳幹部の病変によっても起こり得ます。脳幹部には【錐体路】という随意運動をつかさどる神経の束が一ヵ所に集中しており、この部分が侵されると閉じ込めに陥る可能性があるのです。
重い選択。
話をALSにしぼります。
ALSの症状が進行してくると、ものを飲み込む嚥下機能や痰を排出する能力が低下し、呼吸不全が徐々に顕著になってきます。
そのままでは生命を維持することはできませんので、IPPV【侵襲的陽圧換気法】を導入するかどうかの選択を迫られることになります。
ちなみにIPPVとは、挿管や気管切開によって直接気道確保して人工呼吸器で換気する方法です。
ただし一旦導入した後はもう後戻りはできません。
取り付けられた人工呼吸器を外したり、電源を切ることはたとえ医師や家族で会ったとしても罪に問われる事になるからです。
2004年に呼吸器装着を悔やんだ息子の懇願により、母親が呼吸器のスイッチを切る事件がおこり、嘱託殺人罪で執行猶予付きの懲役刑が言い渡されました。
私が訪問でかかわった中で、これ以上家族に迷惑をかけたくないという理由で呼吸器装着を拒否された方もおられましたが、生への渇望と家族への介護上の負担になることとの狭間で苦しむこととなるのです。
ALS患者を取り巻く環境の変化
IPPVによって、ALS患者は生命維持の手段を手に入れる引き換えに、声という最も簡易なコミュニケーション手段を失うことになります。
ただしそれも、少なくとも一昔前に比べると、劇的といっていいほど環境が改善しました。
その要因として、
❶ タブレット端末の出現(PCの小型・高性能化)
❷ インターネットの普及
が挙げられます。とにかく介護者とのコミュニケーションだけでなく、外部とのコンタクトがメールやチャットで簡単にできるため、極端な話、発信できる範囲は世界中どこへでもが可能なわけです。
しかし、指やまぶたを動かせなくなると、いずれそういった機器すら扱えなくなるわけで、いよいよ外界とのコンタクトが取れなくなるのです。
私はある患者に切実な思いを投げかけられたことがあります。
「私の眼やまぶたはいずれ動かなくなるけど、そうなったら痒い所ひとつ掻いてもらう術がなくなってしまう。そのことを考えるだけで気が狂いそうになる」と。
私はそれに対する対処法を求めるために地下鉄の電車内で長考していたのですが、考えた場所が悪かった。
ちょっとした閉所恐怖症の発作状態になってしまったのです。
それ以降、私にとって閉じ込め症候群について考えることは、多くの精神的エネルギーを必要とし、どちらかといえばあまり触れたくない内容となってしまいます。
そんな中、私はホーキング博士の多方面にわたる活躍を目の当たりにします。
彼の姿勢は忍び寄る【閉じ込め】に怯えるどころか、自分の今後に対して無限の可能性があることを微塵も疑っていない様子でした。
その姿勢は私に「残された人生で、失うことを考える暇はない、その時間を燃焼させることに費やすべきだ」と行動で示してくれたように思えました。
実際に博士はその人生の3分の2をALSとともに過ごしてきたのです。
博士にとってALSとは【死の影】であったかもしれませんが、同時に生涯のパートナーだったのかもしれません。
安楽死は必要か
いきなりなぜ安楽死? と思われるかもしれませんが、安楽死の話抜きには閉じ込め症候群については語れませんのでお付き合いください。
安楽死というと、保健所で里親も見つからない犬や猫が、苦痛を感じさせずに殺処分するというイメージがありますが、そうではありません。
安楽死には、【積極的──】と【消極的──】とがあります。
分かりやすく言えば、前者は【殺す】ことで、後者は【成り行きに任せて死なせる】ことです。
ALS患者の場合、本人の明確な意思表示があったうえで、気管切開と人工呼吸器の装着(IPPV)を拒否し、結果的に死期を早めることは消極的安楽死であり、違法性はありません。
しかし他人が人工呼吸器のスイッチを切って死に至らしめるのは積極的安楽死となり、本人の明確な意思表示があったとしても殺人罪の適用になります。
しかし、閉じ込め症候群を恐れ、人工呼吸器を途中で外してほしいと希望する患者本人や家族が常に一定数おられ(臨床神経学雑誌第50巻第11号より)、条件付きで呼吸器取り外しをみとめてもよいのではないかと議論されてきました。
私も条件付きで取り外し容認派でした。
でもよくよく考えれば、全身が動かなくても、脳波や脳血流の変化を読み取って意思表示が可能になれば、「閉じ込め」られなくてもすむわけですから、一日も早い実現を望みたいものです。
結論──
TEDというアメリカの非営利団体が主催する有名なスピーチフォーラムがあります。
ネット上でも動画で閲覧することができますが、そこで私は閉じ込め症候群の父を持つ娘のスピーチを聴きました。
私の中で【閉じ込め】という概念は少し変わった気がします。
実は「閉じ込められている」状態であるという認識が、間違っているんじゃないかと。
私もこの女性のように、赤の他人でもセラピストとして閉じ込め症候群の方を支えていければステキだな、と思いました。
一聴の価値ありなので、ぜひご覧ください。
ここまで読んでいただいてありがとうございました!
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